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風邪・・・

Category : 現在

コメントをたくさん寄せてくださっているのに
お返事できなくてごめんなさい。

年末忙しいのに加えて風邪をひいてしまいダウンです。。。
やらなければいけないことがたくさんあるのに、
思うように動けません。。。
咳が止まらず、まるで赤ちゃんのように咳き込んではオエッと
なってます(汚い話でごめんなさい・・・・涙)。

必ずお返事は書くので、もう少し時間を下さい。

皆様も体調を崩さないようにね・・・。
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テーマ: 雑記
ジャンル: 日記

足の怪我3

Category : 小学校

続き・・・・・

母親に送られて始まった初日に、
学校でどうやって過ごしていたのか全く覚えてない。

たぶん帰りも迎えに来てくれていたと思う。

ちょうど寒い時期で、
母が手袋をして自転車をこぐ姿だけが目に焼きついている。

その日、再び病院へ行ったのだろう。記憶ははっきりとない。

今度は、専門の医師がいた。

それでも、昨日と同じような話を聞いたと思う。

私のごっつい足。固定された器具と包帯は変わらなかった。
専門医ならもっとスマートにしてくれるだろうと期待していたのに。
・・・・・ダメだった。

「いいんじゃない?」この一言で終わり。

骨折するとギブスをつけてもらうでしょう?

あれよりも厚みがあってとにかくボリュームがすごかったから
何とかして欲しかったんだけど、何ともならなかった。。。

そのまま、温シップを貼りかえたのかな・・・。

とにかく、足はそのままで松葉杖だけを貸してもらった。

これで移動は楽になった。

慣れない松葉杖だったが、片足ケンケンよりマシ。

次の日から、私は松葉杖を抱えて母親の自転車の後ろに座った。

私が松葉杖を持っていくと、
何人かの興味を持ったクラスメートが「貸して貸して」と寄ってきた。

勝手に遊んでくださいと思った。

私自身より、松葉杖に興味を持っていかれてホッとしていた。

松葉杖はあれど、片足だから、当時おトイレとかどうしてたんだろう。

昔だから当然和式のトイレだしさ、
個室ですごく無理な格好してたんだろうね(笑)。

体育はずっと見学していた。苦手だったから、嬉しかった。
日当たりのいい場所に座って見学する時間は暖かかった。


私はこんな怪我をしてまでも、学校へ通わなければならない。
私の過ごす世界は家と学校だけだ。休む事も出来ない。

毎朝、母親に送迎される私は寒い朝、
母の背中の温もりを感じながら思っていた。

教室から去っていく母親を見送ると泣けてくる日もあった。

怪我をしていなかった日々よりも、寂しい気持ちが続いた。



定期的に通っていた外科病院でも、私は緘黙児となっていた。

医師に何か聞かれても答えられなかった。
そして、笑う事も出来なかった。

そんな私に医師も何か感じていたのだろう。

足の具合も良くなり、最終のレントゲンを撮って
「もう大丈夫ですよ。歩けるよ」と言われた時、
私はウンともスンとも言わず、
さらに笑いもせずにただ座っているだけだった。

その時、
「嬉しくないの?笑ってもいいんだよ。
最後くらい笑ってくれるかと思ったけど・・・。」と医師は言った。

笑いたくても笑えない、嬉しい気持ちを表に出せない緘黙児なんだよ。

足の怪我をしたことで、医師に突っ込まれた一言は、
胸にズキンときてショックだった。

最後の最後にとどめの一言を食らわされて終わった足の怪我だった。。。





【おまけ】

実は、私は学校以外のある場所でも緘黙児になっていた。
それは母親の実家だ。

母親は兄弟が多く、盆暮れに必ず一族が集まる。
私も、小学校の頃は毎回一緒に行っていた。

「行きたくない」と言うと、
「年に数回くらい顔を見せに行きなさい」と叱られていた。

学校に行かなくてもいい日に、緘黙になるのが嫌だった。

私と同じ年頃のいとこ達がたくさん来る。

もちろんしゃべらない、笑わない。
だから、馴染めない。一緒に遊べない。溶け込めない。
1人でポツンと隅っこで座っている子だった。

でも、なぜか不思議と普段の私で居られる時もあった。

普通に話し、普通に遊んで帰って来る時もあったのだ。

楽しい思い出を残して、帰ってきても、今度会うのは半年先とか
だから、その時はまた緘黙になってしまったりする。

そんなの自分でも嫌だったなあ。
心の中に違う人間が住んでいるみたいでさ・・・。

今回はこっち、次回はあっちなんて。


そうそう、緘黙児だった時に、
「二重人格だ~!」って言われた事があったの。

私が学校では一言もしゃべらないのに、
家ではペラペラしゃべるんだってよ~!なんて噂が飛び交った時ね。

二重人格という言葉を聞いた小学生の私は、
本当にそうなのかって思ってたよ。

それ以来、子供ながらに二重人格なのかも、
なんて思ってたけど、どうも違うらしいという結論になっていた。
自分の性格のせいだと思ってずっと生きてきた。

そして、2005年。
自分は場面緘黙症だったんだと判明。

今はとてもスッキリした気持ちになれました。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

足の怪我2

Category : 小学校

続き・・・・・・・・・・・・・


病院でレントゲンを撮ったあと、父親と一緒に医者から話を聞いた。

よく分からないレントゲン写真を見せられて、
この部分にひびが入ってますとペン先で示す医者。

その病院は外科以外にも診療科目があって、
私を診てくれた医者は
「私は専門じゃないので、応急処置をしておきます。また明日来てください。」と言った。

医者は、針金が中にはいったスポンジみたいな
ごっつい大きな物体を持ってきて、私の足の形にあわせた。
それから看護婦さんに固定の仕方を教えるとどこかへ消えていった。

看護婦さんに先ほどのごっつい物体と私の足を一体にされて
包帯でぐるぐる巻きにされた。

すごい状況だ。悲惨な足となってしまった。見た目がシンプルじゃない。
こんな格好をして歩いたら必ず人の視線が私の足に集中するに違いない。

出来上がった包帯グルグルの足を
満足そうに眺める看護婦さんを見ながらそう思っていた。

この格好で学校へ行くと注目の的になってしまう。

どうしよう・・・。すごく怖かった。一人で悩んだ。

その日、私は松葉杖を貸してもらえなかった記憶がある。

・・・うん、たぶん貸してもらってない。

ずっと片足ケンケンの状態だったような記憶がある。

担当の医者がいなかったからかどうか分からないけど、
それはそれで注目の的になる材料が増えてしまったような気がして
たまらなく不安だったと覚えている。

明日の学校、どうしよう・・・って思ってた。

その日から包帯グルグルの私の記憶は
また途切れ途切れとなっている。

ブチブチと切れた記憶を何とかつなぎ合わせてみる。



次の日、私はその格好で学校へ行っている。

母親の自転車による送り迎えが始まったのだ。

包帯グルグルで大きくなってしまった足を抱えて学校へ行った。

嫌だった。
でも嫌だからといって学校を休みたいと母親には言えなかった。
自分でも、休んでしまったら今度はいつから通うの?って思ってた。

治るまで家に居るって言うの?
そんなことしたら、2度と学校へは行けなくなっちゃうよ?
1度でも休んだら、次の日の皆の視線が怖いでしょう?
情けない格好になってしまっても、頑張って行った方がいいよ!

という結論に達していた。

初日、松葉杖もない状態で私は教室の階段を母親と上った。
片足ケンケンで手すりに掴まりながらだったと思う。

母親は教室まで来て、私が席に座るのを見届けると帰っていく。

今までとは違う私の変化にクラスメートも多少驚いたようだった。

仲良くしてくれる友達は「どうしたの?」と心配してくれた。

はっきりと覚えていないけど、
教室移動の時とかも手伝ってくれたような気がする。

それより、私は教室まで送ってくれる母親の存在が
一日中心の中に残っていて辛かった。

一緒に連れて帰って欲しい、
足が治るまで毎日そう願うようになっていた。

・・・・・・続く。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

足の怪我

Category : 小学校

何年生の頃だったかすっかり忘れてる・・・
はっきりしないけど、たぶん小学校5年生くらいかな。。。


緘黙児だった私にも一応いつもそばにいてくれる友人が
出来たという事は以前の日記にも書きましたよね。

友人達は放課になれば外に出て遊ぶのに私も誘ってくれていた。

それはそれは嬉しい事だった。

具体的に何をして遊んでいたのかよく覚えていない。
鉄棒とか、登り棒とかしてたのかな・・・。
他にも遊んだと思うけど、覚えてない。本当に覚えてないなぁ。



生徒達は始業のチャイムが鳴るまで外にいるから、
チャイムが鳴ると皆一斉に下駄箱へ走り出す。

私たちもチャイムがなるまで遊んでいた。
もちろん皆と一緒に走り出す。

ところがその日だけはちょっと違った。

5人くらいで馬とびをしながら下駄箱へ向かっていた。

私の言う馬とびってのは、自分が馬になって、
人が飛んだら自分も次の人の馬を飛ぶっての。

だから順繰りに飛んでいくと少しずつ進むんだよね。

チャイムも鳴っていて時間もないから急いでやってたの。

私も飛ぶのに必死。

チャイムが鳴り終わる頃にも玄関からまだ遠く
そのうち飛ぶのを止めて皆で走り出した。

私はその馬とびを最後に飛んだとき、
足をくじいたような・・・・・気がした。

飛んで着地する時に、
足首をぐきっとひねったような・・・・・気がしていた。

皆と玄関に向かって走り出した時、少し痛みを感じていた。

何とか教室に辿りついた。

自分の席に座りホッとしていた。

それから授業が始まり、何となく足が痛み出した。

たぶん午前中の放課だったと思う。

それから詳細には覚えていないけど、
私は給食の頃までその痛みを我慢していた。

誰にも「痛い」と言えなかった。

でも給食の時間に、その痛みを我慢出来なくなった。

冷や汗が出るほど痛くなってきたからだ。

これは普通の痛みじゃないって子供ながらに思ったんだね。

私は意を決して、給食を食べている先生の所へ行き、「足が痛い」と訴えた。

それから保健室へ行ったと思う。

包帯を巻いてもらったのかな・・・。

すぐに帰ったのか、そのまま学校で過ごしたのかも覚えてない。

その後の記憶は病院だ。
父親と一緒に整形外科へ行った。

レントゲンを撮った結果、
足の外側の骨(何という骨か分からない・・・笑)にひびが入っていた。

どんな事にも我慢してきたけど、
この痛みはどうしても我慢できなかった。

通りで痛いはずだよね。ひび入ってるんだから。

でもそれから約1ヶ月間、
私はとても辛い日々を送ることになってしまった。。。


・・・・・・・・・・・続く。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

家での私

Category : 小学校

ずっと学校の事ばかり書いていたから
家での私を思い出してみることにした。


小学校の頃の事。

私は家では本当に普通の子だった。

普通の子よりもおしゃべりだったと思う。

とにかく学校でしゃべれない分、笑えない分を
家で取り戻そうとしていた。

そうしなきゃ、
自分がどうかなってしまいそうだったから。。。



共働きの両親は休みになると
いろんなところへ連れ出してくれた。

でも、家から出ると学校に居る時よりはひどくないけど、
軽い緘黙症状が出ていた。

極端に大人しくなっていた。たぶん表情も乏しかったと思う。

特にひどかったのが、プールへ行った時だ。

私は泳げなかった(もちろん今も・・・苦笑)。

背が低くて、学校のプールでは足が着かなかったから
プールが怖かった。

それでも、学校で少し浮く事が出来た時、
私はもっと練習したいと思っていた。

そして両親に何度かプールへ連れて行ってもらったのだ。

初めは頑張ろうと思ってプールに入るけど、
そのうち泳ぐ事に恐怖感を覚えると、もうだめ。

親が何を言おうが、何をしようが、
もう嫌だ!帰りたい!プールの中には入らない!
なんて事をしていた。

もちろんその時は無表情、しゃべらない。
マジ可愛くない!

そして結局泳ぐ事も出来ずに帰って来る、
なんて事が数回あった。


そんな私に対して、
両親は叱りつけることもしなかった。

ただただ見守ってくれていたと思う。嬉しい。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

気分転換してみました♪


とっても寒い朝となってます。

外の景色は一面雪化粧です。冷えます。
足元の電気ストーブは頑張ってくれてますが、
それでもやっぱりさぶいです。。。

今朝から少し咳が出始めました。
漢方薬と生姜湯を飲んでます。

とても足早に過ぎていく師走。

もう今年も2週間しかないんだね。

こんな時期に大雪。
そして人に災難を振り掛ける。

怖いね。

なんとも無残に散っていく人の命。。。

悲しすぎます。

テーマ: 雑記
ジャンル: 日記

空を見る

Category : 現在

今日は現在の話を書きますね。




*
*
*
時々空を見上げる。
空を見ていると自分の小ささにドキンとする。

空


大きな大きな空の下の
小さな小さな心の中は
同じ表情など一つもない空に励まされる。
*
*
*





緘黙児だった頃の自分はまだ精神的にも幼くて、
今でも何を考えてたんだか思い出せないけど、
時には何も言わない自然の力に励まされていたと思う。

学校帰りの道端に咲く小さなタンポポとか
陽のあたる校庭のコンクリートをせわしく歩くありんことか
日当たりの悪い校舎の北側に残っている雪の塊とか
どこかから香ってくるキンモクセイの香りとか・・・ね。

辛い毎日にも少しは楽しい事があったんだって思いたい。

そう思わなければ、昔の自分がかわいそう。

記憶が十分でないだけに・・・かわいそう。。。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

小学5年生の頃、野外活動(キャンプ)があった。


あまりはっきりした記憶ではない。
これは2泊3日だったのに、記憶が途切れ途切れだ。


随分前からかなり憂鬱だった。


学校では、キャンプファイヤーで唄う歌を事前に練習していて、
学年全体がキャンプで盛り上がっていた。


家では、キャンプ用のリュックを用意し、
入れたくもない荷物を入れ、何枚もあるキャンプの説明書片手に
忘れ物チェックをし、イヤでも行かざるを得ない状況。


今思い出しても、「よく行ったよなあ」と昔の自分に感心するわ(笑)。


だって、丸3日しゃべれないんだよ。
しゃべりたくてもしゃべれない。笑いたくても笑えない。すごい苦痛。


1日目だか2日目だか3日目だかなんて覚えてない。
やった事で覚えている事は、飯ごう炊飯(カレー作り)、キャンプファイヤー


・・・・・・・くらいかな。


とにかくね、3日も学校の皆と寝泊りして、一緒に行動して、
友情も深まるなんて行事はいくらやさしくしてくれる友達がいても、
かなりきつかったと思う。


就寝の時間が来るたびにホッとして、あと1日、明日には帰れるって思ってた。


とても家が恋しかった。


キャンプファイヤーの時にこっそり1人で泣いてた。
暗いから誰も気がつかなかったけどね。


なんでこんな所に居なければいけないの、早く帰りたいって。


キャンプとか修学旅行は、緘黙児にとっては拷問かも・・・。
少なくとも当時の私にとっては逃げたくても逃げられない空間に
閉じ込められたような感覚すらあったと思う。


クラスメイトにとって楽しみな行事というのは、
緘黙児の私にしてみると大変厄介で、できれば避けて通りたいという気持ちだった。


遠足、運動会、学芸会、授業参観日などもそう。


やっぱりいつも孤独だった。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

コメントにも少し書いたことがあるけど、
私はリコーダーが好きだった。得意だった。


音楽の授業は、もちろん歌よりリコーダーの方が気が楽だった。


楽器は声を出さなくていいからね。
自分の代わりに音を出してくれる楽器は大好き。


リコーダーのテストの時は、
1人ずつ出て行って皆の前に立たされて
先生の伴奏と共に演奏する。


リコーダーは得意だったからいいけど、
なぜ皆の前に出て吹かなければいけないのか。


緘黙児にとって、注目されることは一番苦手な事。
恥ずかしくて、怖くて。リコーダーを持つ手が震える。


毎回、何とかこなしていたって感じ。


一方、歌のテストの時だって皆の前に立たされて歌わされる。


歌のテストの時は最悪だ。


だって、皆私の声を聞きたくて、聞いてみたくて仕方ないから、
他の子の時より教室中がシ~ンとしてるんだもん。


全クラスメイトの視線を浴びた私は
それでも何とか歌を歌っていた。


緘黙児にとって屈辱的だ。


今そういう子がいたらかわいそうだなぁ。。。


でも、今、学校ではこういう方法でテストをしたり
するのだろうか・・・。


高校の時を思い出すと、
1人ずつ廊下に出て、音楽の先生と2人だけの
空間でテストをしてくれていた覚えがある。


緘黙とまではいかなくても、少し気の弱い子は
注目されることで、思うように力を発揮できないのでは
ないかと思うけど・・・。


人前で何かをする事にすごく抵抗があった。


それは今でも引きずってる部分の一つだわ。。。


テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

小学校は6年間も通ったのに、学芸会の記憶は一つしかない。


小学生の頃の記憶って結構ある方だって思ってたけど、
こうして書いてみると少ないなあ。


どうして一つだけ覚えているんだろうって思うけど、
それはたぶん、話の内容に感動していたからだと思う。


皆さん知っているかなあ?


どんな題名の劇だったかは忘れているんだけど、
偶然、ネットですばらしいFLASHを見つけたので
私の文字を目で追うより、こちらを見てください。

世界で初めて宇宙に行った生命体(クドリャフカ)





どうでしたか?


当時、私たちはこの犬の事をライカ犬と呼び、劇を演じました。
私はもちろん緘黙児だったから、大勢の中の1人になりたくて
たくさんの同級生と共に合唱していました。


その時の歌は1フレーズだけ覚えている。


とても悲しい結末。


劇でも最後にライカ犬は死んでしまったと思う。


当時、私は何て悲しい話なんだって思って、
台本を読んでは、ライカの事を思い涙していたような記憶がある。


そしてこの主人公であるライカ犬を演じた男の子の
演技がすばらしくて、リハーサルをやるたびに
見とれていた覚えもある。


色の白い男の子で、名前もしっかり覚えている。
やさしい子だったなあ。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

高校時代の友人とランチしながらあれこれとしゃべってきた。


子供の学校の話、子ども会の話、大掃除の話、冬休みの予定、スキーの話などなど。


彼女といるとあまり気を遣わなくていいので気持ちが楽。
自分と近い価値観を持っているからかもしれない。


多くの場合、私は聞き役が多いけど、彼女といると話す割合は五分五分になる。
今日は結構しゃべった。


少しスッキリしたかも。


話は変わるが、今日も最近の話をしよう。


私は短大を卒業してから1年専門学校に通っていた。


その時に出会った友人は高校を卒業してすぐに入ってきたので、
私より2つ年下だった。


彼女は私の事を「お姉ちゃん」と呼んでくれるほど
私の事を慕ってくれていた。


毎日、学校の帰りは一緒に帰って、途中でお買い物したりしていた。


たった1年間だったけど、とても楽しい時期だった。


彼女とは
「おばあちゃんになってもこうして一緒に買い物しようね」
なんて言い合うくらい仲良しだった。


彼女の家に遊びに行った事もある。
私の家に招待した時もある。


恋の話もした。
将来の話もした。


私が結婚する時には彼女に友人代表で
挨拶を頼んだ程、親友って思っていた人だった。


子供が生まれてからも、彼女が家に泊まりに来たり、
私が彼女の家まで遊びに行ったりして一緒に買い物を
したりしていた。


ところが、数年前から連絡が取れにくくなった。


いつも手書きのポストカードを送ってくれる彼女から
返事が来なくなった。


何度か、また会いたいねと送ったけど、
忙しいからと断られていた。


どうしてかと考えた。


ちょうど、連絡が取れにくくなった頃、
私は新しい仕事を始めたと彼女にハガキを送っていた。


その仕事は少し専門的な仕事。
今でもやっている仕事だけど、
一応国家資格がないと出来ない仕事。


そんなはずはないが、それが原因なのかもとも思った。


思い切って彼女にどうして?と
問うハガキを送ってみた。


返事が来た。


「もう住む世界が違うような気がして・・・。
年賀状も送られてきたら出そうと思ってた。」


という内容だった。


私は彼女が、職業なんかで人を見るような子じゃないと
思っていたからとてもショックだった。


泣けるほどショックだった。


だって、歳取ってもずっと友達だって思ってた人だったから。。。



そんな事があってから2年くらい経つ。


今でも、彼女との連絡は一切ない。
連絡しようとも思わない。


もう近づかない、彼女には。


彼女がくれた彼女オリジナルの詩集がある。
彼女がくれた誕生日プレゼントの本がある。


思い出はあるけど、もう友情はない。


悲しいけどこれも現実。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

忘年会ランチ

Category : 現在

今日は思い出話を少しお休みして現在の事を書きますね♪


まず御礼が言いたいのです。
毎日コメントを寄せてくださる方々、訪問してくださる方々、本当にありがとうございます。
緘黙の話が今になってできるなんて夢にも思いませんでした。
感謝してます。



私はほんの数ヶ月前に自分が緘黙児だったと知ったんです。


知ってから、やっぱり自分は何らかのおかしい症状を発していたんだって、自分のしてきた事に納得が出来た。内気な性格の問題以上に心の問題だったんだって自分に説明する事が出来た。


少し気持ちが楽になりました。感謝感謝です。



さて、毎日緘黙児の暗い話なので、今日は少し明るめの話を書きます。
緘黙児でもここまで普通になれるって事を知ってもらいたいし♪



今日は実は高校時代の友人と忘年会ランチに行ってきます。


まだ日記には保育園小学校時代の思い出しか綴っていないのですが、私は高校時代には緘黙を殆ど克服してました。


詳しい事は追々日記に綴っていきますが、そんな高校時代に出来た友人とのランチです。


彼女は私と同じように結婚もして子供もいるママです。結婚してお互い近くに住んでいるということもあり、年に数回は会って近況報告も兼ねてのランチをしてます。


で、今日は今年最後の忘年会ランチという訳です。


彼女と会うと殆ど子供の話なんだけど、それでも楽しい時間です。


PTAや子ども会の話やら、町内会の話やら高校時代の友人の噂話とかもする。



過去は過去。自分の歩んできた道を消す事はできないけど、現在が全て。今自分にできる事をするしかない。


緘黙児だった頃の自分も、その時その時間が全てで動いていたんだから。当時、自分ができる事は緘黙であり続ける事だけだったと思える。


なんだかよく分からない内容になってしまったけど、とにかく今、こうして日記に緘黙の事が書けることに感謝します。


それでは行って来ます。

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ジャンル: 育児

小学校5年生の頃だったかなぁ。


相変わらず緘黙を続けている私に友達が出来た。
同じクラスの女の子が2人だ。


放課になれば外に行こうと誘ってくれるし、
一緒に図書室へ行ったり、教室移動の時も一緒に行動していた。


いつも3人で居る事が多かった。


どんなきっかけで遊び始めたのかは覚えていないけど
とにかくいつも一緒だった覚えがある。


緘黙で1人ぼっちでいると、一番辛いのが
クラスでグループ分けをする時。


いつも1人になってしまう私だったが、
この頃にはその2人がいつも仲間に入れてくれていた。


嬉しい事だった。


その子たちは、私が喋らないってことを
1度も責めたりしなかった。一緒にいて楽だった。



ある日、何かの授業の時。


学校の中庭に大きなたらいを出して洗剤で何かを洗っていた。


私はその子たちと3人でたらいを囲み、
彼女達はぺちゃくちゃとおしゃべりをしながら
泡をフワフワに作ったりして遊んでいた。


私も同じようにやっていた。


すると、1人の女の子の膝に泡がフワッとくっついた。


その子が
「だれ~ここにつけたの~!(笑)」って言いながら
泡を指差していた。


もう1人の女の子が何か言っていた。
でも何を言っていたのか覚えていない。


私は笑いをこらえるのに必死だった(笑)。
何だか笑いのツボに入ってしまったのだ。


思わず顔をほころばせ声も出して
笑いそうなくらいおかしい光景だった。


でも私は必死に笑うのをこらえた。
頑張ってしまった。


今でもふっと思う。


もし、あの時笑ってしまっていたら
私はその瞬間に緘黙とさよなら出来ていたのかもって。


だって、大好きな仲良しの子たちの前で
笑う事が出来たらどんなに楽しいだろうって
その時思ってしまったんだもの。


でもダメだった。


結局私は笑う事をガマンしてしまった。。。


私が突然しゃべったり笑ったりすると周りが
どう反応するのか気になる。


そう思って、ずっと頑なにそんな自分で
押し通していたけど、笑う事が出来たら楽だろうなって
思い始めていた時期でもあった。

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ジャンル: 育児

小学校何年生の頃か忘れたけど、
私は1度だけ理科のテストで100点を取った事があった。


私はあまり勉強をしない子だった(笑)。
宿題も忘れていくことが多かった。


家に帰ってから学校の物に触れたくなかったのかも知れない。
ランドセルを開けたくないって感じかな・・・。


学校へ行ってから、宿題を忘れていた事に
気がついて、ドキドキして焦って、先生に怒られる。


よくそんな事があった。


そんな中での100点だった。


自分ではそのテストが出来たとか
100点かも知れないとか
そんな事考えていなかった。


点数のことなんて気にした事などなかった。


だから100点取ったからといって
全然嬉しいという感情は無かった。


だからという訳ではないけど、
もちろん緘黙児だから笑いもしない。


つまり100点取ったのに喜ばなかったのだ。


その様子が当時の担任には驚きだったようで
母親に言ったらしい。


「100点取ったのに笑わなかった」ってね。


うちの母親は私が学校でしゃべらないって事は知っていたけど、
笑わないって事に関してはあまり理解できなかったみたい。


そう学校から聞いた母は私に言った。
「いい点取ったのに嬉しくなかったの?笑わなかったって言ってた。」と。


正直言って嬉しいとも思わなかったけど
普通の子なら嬉しがるんだろうね。


私は嬉しくなかったから笑わなかったのではなく、
元々何が起こっても学校では笑わないから
母親の質問に答えようがなかった。


とにかく何が起ころうともしゃべらない笑わない。


強く心に決めていた。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

朝が来ると、今日も1日、学校へ行って黙ってるのか。。。
って思っていた。


すごく憂鬱な毎日だった。


日曜日の夕方が一番嫌いだった。
夜が来て月曜日の朝になるのが怖かった。


でも土曜日は大好きだった。
午前中で学校が終わりだからね。


土曜日になると、今日は昼までで終わりだって思って
少しは気分も楽に学校へ行けたものだった。


緘黙を続ける小学生の頃の私は、
それはそれは、毎日相当なストレスを抱えて
学校から帰って来ていた。


学校から帰ると、家にいる母親にべったりくっついていく私。


家で仕事をしてた母は忙しいから
そんな私を鬱陶しいと思っていただろうが、
それなりに相手をしてくれていた。


家に入ると、学校の緊張が一気に解けて
突然おしゃべりになる。


今まで黙っていた分を取り戻すかのように
しゃべり出すのだ。


自分でもこれほどしゃべらなくても
いいじゃないかって思うくらいしゃべっていた。


ひとしきりしゃべると、スッとして
私は自分の部屋へ行く。


私には家の近くに一つ年下の女の子と一つ年上の
女の子の友達がいた。


何歳の頃かよく覚えていないけど
その子たちとはよく遊んでいた。


もちろん、普通の子供のようにね。


しゃべりもするし、笑いもする。


年上の子とはピンクレディーの真似して
一緒に踊ったりしてた。(歳がばれるね・・・笑)


でも、その子って同じ学校に通っていたのか・・・?


家が近いし、今思い出しても同じ学区だったし
絶対同じ学校に通っていたはずなんだけど、
よく覚えていない・・・。


特に一つ上の子に関しては、
絶対小学校は同じだったけど、
学校で会った覚えが無い。


通っていた小学校はマンモス校で
生徒数もすごい数だったから、会う事もなかったのか?


それとも、私が避けていたのかもしれない。


一つ年下の子のことはよく覚えている。


同じ通学団だったの。


私が学校でしゃべらないって事、
彼女は入学してくるまで知らなかったんだよね。


彼女が入ってきたからと言って
いきなり緘黙やめられるはずはない。


段々彼女を避けるようになって。。。


そのうち彼女は転校して行った・・・。


たくさん遊んだ記憶はあるんだけど、
学校が絡んでくると、全く記憶がない。


不思議だ。そして、悲しいな。。。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

ドラえもん

Category : 小学校

小学4年生の頃。


私は本が大好きだった。
だってしゃべる必要が無い相手だし。


本の世界は私の頭の中にしかないし、
誰とも関わらずに過ごす事が出来る空間なんだから。


だから毎日のように図書室へ行っていた。


特に読みたいと思っている訳ではないが、
次から次へと本を借りては教室で読んでいた。


緘黙児の私は放課が憂鬱な時間だった。


授業が終わり、皆が急いで校庭へ出て行くのを
背中で見ながら、私は1人で教室に残り本を開く。


なかなか外に出て遊ぶ事も出来なかったなぁ。


っていうか、友達が居ないから校庭へ出てもやる事がない。


1人でぽっつりしてるならまだ教室に居た方がまし。


なので私の放課は本無しではいられなかったって訳。


図書室で借りる本は退屈なのもあれば
続きが読みたくて何冊も続く本をじっくりと読んだ本もある。


そんな頃、たまたま私の席の隣の男の子が
ドラえもん大好きで、学校にコミックを持ってきて
放課になると読んでいた。


私はその子が読んでいるコミックを覗いたりしていると


「読む?」


と言って一冊貸してくれた。


すごく嬉しかった。


その日から私はその子と一緒に放課になると
コミックを読むようになった。


その子は毎日何冊かコミックを持ってきてくれたので
私は何巻も読む事が出来た。


そのうち、自分でも欲しくなり
買ったコミックを持って行っては教室で読んだりしていた。


その子が持っていない巻を私が持っていれば
貸してあげたりしていた。


その時も、私はしゃべる事はなかった。


私は全て無言でやり取りしてたんだと思う。
私の意思表示は首を横に振ったり縦に振ったりするだけ(苦笑)。


それでもその男の子はそんな私に付き合ってくれていた訳。


とても有難い存在だったなぁ。


だからと言って、簡単に心を開ける訳ではない。


緘黙児にだって優しくしてくれる友達は居る。


でも、そんな存在は有難いとは思っても、
自分からしゃべりかけようとは思わなかった。


もっと仲良くなりたい気持ちはあるんだけど、
もししゃべり始めたら相手はどう思うんだろうって
不安が邪魔してダメなの。


とにかく人と関わることに不安を抱えていた。
普通じゃない不安をね。。。


子供の頃は、何で学校ではしゃべらないんだろうって
自分で思っていたけど、自分のやっていることに
自分でも理解できなかった。


ただただ、学校ではしゃべりたくないって思ってた。


下校時間が来るのをひたすら待っていただけだった。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

野ブタ。

Category : 現在

今放送中の「野ブタ。をプロデュース」が大好きでたまらない。

修二と彰はかっこいいわ!
・・・それもあるけど、毎回真剣に涙して観ている。

修二と彰の存在は野ブタ。にとってすごい存在だ。

一つの目標に向かって進む3人の絆は強い。



修二は学校でも人気者で友達も多くて彼女も居て、
一見何の悩みもないんじゃないかって位恵まれている。

彼みたいな人が野ブタ。の気持ちを理解してくれるなんて驚きだった。



修二の心の中は満たされてはいない。

どこかぽっかりと穴が開いていて、
親友を求めているんだけどうまく行かない。

今までの自分を捨てる事が怖い。
今までの皆が抱いている自分のイメージが壊れていく恐怖。
本当の自分を知られる事の怖さ。



どうもこの気持ちは
緘黙の頃の自分の気持ちに似ている。

緘黙児の頃には、学校ではしゃべらない自分ってのが定着していた。

そんな私が突然次の日にしゃべり始めたら皆が驚くだろう。

小学校高学年の頃から中学卒業する頃まで思ってたなあ。

いいイメージじゃない。
暗~いのに、それを壊さないように必死だった。



修二がよく言ってた
「だって面倒くさいじゃん。」

そんな気持ちだ。

修二は自分の感情を隠してまで人に好かれるような事を
わざわざしたいとは思わないという意味で面倒だって言ってたけど、
学校での彼は毎日そんな事をしていた。

面倒くさいだらけじゃん。

だからこそ人気者だったんだけどね。

裏を返せば、本当の自分をさらけ出すのが面倒だってことだよね。


今までの自分じゃない自分をさらけ出す事が面倒。
しゃべり始めた自分に対する周囲と関わる事が面倒なんだ。
本当の自分をさらけ出すことが面倒だった。


でも人と関わりたくない訳ではない。

人と関わりたい、もっと関わりたい。
もっと深く仲良くなりたいと思っているのに
それが出来ない・・・・・・・・・っていうか面倒。


そんな気持ちが修二と重なる。

いや、重なるからこそ修二は野ブタ。のことが
理解出来るんだと思う。


あ、彰のことを全然書いてないんだけど私は修二より彰が好き(笑)。

彼は変わり者と言われ、教室ではいつも1人でいるタイプ。

でもいじけている訳ではない。
自分の意見をはっきり言える。
堂々としている。

修二から見たら彰はとてもまぶしいと思う。
自分の思うように行動できる彰が。

そして彰のやさしい気持ち。心。大好き。

何の迷いも無く友達のことを信じることが出来るなんて。

親友なんて努力してできるものじゃない。

自然なままの自分でいれば、
自然に出来るものなんだね。

どうも背伸びして作った友達は
時を重ねるにつれて離れていく。


結局、人間はありのままの姿でしか
人と関わることができないって事なんだね。


来週の野ブタ。が楽しみである。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

私の定規を褒め称えた担任。

全く余計な事をしれくれたもんだ。
当時は真剣にそのことを呪った。

たまたま私の隣の席だった女の子。

学校でも数少ない、私より背の低い女の子だった。

その子が、先生の話を聞いてから、
私の定規を事あるごとに「貸して。」と
言うようになった。

初めは何の疑いもなく貸してあげていたが、
そのうち返してくれなくなった。

私は彼女の机の上の私の定規を、
彼女の隙をついて何度も取り返そうと頑張った。

そのたびに彼女は机の下から手を伸ばし、
私の太ももをつねってくる。

何考えてんだこいつ!

しゃべらない私はそう思っても声は決して出さない。

黙っているから相手も余計に調子に乗るんだよね。

私はそのうち、バカなヤツ・・・。と
思うことにして、定規を諦めた。

その後、その定規がどうなったか知らない。
覚えてもいない。そんなものどうでもいいが・・・。

とにかく私は、彼女が誰にも見つからないように、
コソッと私の足をつねったことに傷ついた。

隠れて何をするんだ、ひどいヤツ。最低だってね。

それからはずっと彼女の存在が怖かった。

今になって思えば、一言「やめて。」と
言えば済む事なんだけど、当時の私は学校では
しゃべろうと思ってもしゃべれなかったから
それだけ辛い思いで毎日通っていたんだなって思う。

学校なんて大嫌い!
なんで6年も通わなければならないの!
そう思いながらね。

テーマ: 緘黙児
ジャンル: 育児

緘黙という過去を引きずっていると、
人との関わりが上手くできない。

今でこそ、笑顔でおしゃべりも出来るけど、
不意にしゃべれない自分を思い出したりする。

いや、時には笑っているだけで
しゃべらない自分もいる。

しゃべらない方が楽だから。

余程、気の知れた人としか
気楽におしゃべりが出来ない。

よく知っている人でも
目の前にあまり知らない人がいると
突然黙ってしまう時もある。

別に今さらたくさん友人を作ろうなんて
思っていない。

心の支えになるものがいつでも傍にある。

家族の存在は大きい。

私が恋愛して結婚できる人間だなんて
思ってもいなかった。

でも今は素の自分をさらけ出せる
場所がある。

緘黙は直っても、軽い緘黙症状が出るときもある。

自分が嫌になる。

忘れるために、何かに夢中になる。

そんな事の繰り返し。

人と関わる事が苦手だから
自分に自信がない。


私は元緘黙児だったなんて忘れていた頃があった。

数年前。

子供が生まれた頃かなあ。

その頃は、赤ちゃん抱えて必死だった。

過去の事を振り返る余裕も無い。

過去の辛い記憶を呼び覚ます事自体を
忘れていた。

でも、今少し余裕が出てきて
こうしてブログに綴っていると
今の自分はやっぱり緘黙を引きずって
いるんだなって思い知らされる。

知らない人と話をする時に
わずかに声が震えたり、
表情も強ばったりする。

いつも精神的に不安を抱えている


この前、仕事で大失敗した時、
電話でしか話したことのない取引先の人にどやされた。

恐ろしかった。

すぐに受話器を放り投げて
どこかへ消えてしまいたくなった。

こんな私をどこかへ連れ出さなきゃって思った。

もうパニック寸前だった。

気が狂いそうだった。

頭の中が真っ白になった。

その時思った。

よくよく考えてみると、私は元緘黙児だった。

こんな自分が仕事などして
うまく行くはずが無い。

ましてや、人と人とが関わりあうのを
避けては通れないような仕事など無理に決まっている。

それでも今も仕事は続けているけど、
明日にでも辞めたい気分でずっといる。

苦しい。

心の中にいろんな自分がいる。

苦しんでいる自分を助け出したい自分。

励まして勇気付けようと必死になってる自分。

そんな自分が嫌いな自分。

そんな自分を捨てたいと思う自分。

人の前で無理して微笑んでる自分を
何だこいつと思って見ている自分。

人の姿を視界に入れようとしない自分と、
少しでも近づきたいと思っている自分。

疲れるよ。。。

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元緘黙児が 緘黙児の頃の気持ちを綴ります。 なかなか理解してもらえない 緘黙児の気持ちを 少しでも理解していただけたら 嬉しいのです。



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緘黙児とは?

緘黙児とは、ある特定の場所で話す事が できない子供の事です。 会話能力があるのに学校などで しゃべらない。
場面緘黙症とか選択緘黙症とも言う。
原因は、内気や臆病などの性格的なものに、 唖然とするような恐怖や怯え、 劣等感などの衝撃が加わった時に 発症すると言われている。

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野ウサギ。

Author:野ウサギ。
保育園・小・中学校と緘黙児でした。高校で克服するまでの思い出日記♪現在は主婦であり母でもあります。





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